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2009年9月 Archive

レビュー  090930

  • Posted by: 田中 昇次
  • 2009年9月30日 14:21

レビュー

最近新政権またはメディアが「レビュー」という言葉を頻発しているのが気になります。
「八ツ場ダム建設を見直す」、「前政権下での政策を見直す」という表現が沢山あります。田中が???と考えているのは、「見直し」=「廃止、全面改訂」を前提としていることです。

ISO9000の定義を確認しましょう。
「レビュー(review)」=「設定された目標を達成するための検討対象の適切性、妥当性、及び有効性を判定するために行われる活動」です。
レビューという用語は、9001規格の1994年版までは、場面ごとに一番近い日本語を当てはめてきました。Management review ⇒経営者による見直し、Contract review ⇒契約内容の確認、Design review ⇒設計審査がそうです。2000年版以降、「review=レビュー」となりました。どちらにしても、「見直し≡必ず改訂、必ず差し戻し」ではなく、「見直した結果、問題なし」「レビューした結果、当初の政策を実施」という結論がありえるのですが、今回は非常に狭い意味で使われています。

政党がQMSに取り組んだという話は聞いたことがありませんから、「見直し=廃止、改訂」なんておかしいだろう、いう話にはなりませんが、ここで確認したいのは、QMSの精神は普遍的なものだ、ということです。9001規格の1.2項(適用)にもあるように、「この規格は汎用性があり、あらゆる組織に適用できることを意図している」のです。政党だとか政府だとかいう組織にも適用できる規格なのです。実際、地方自治体の中にはQMSでJABに登録しているところが複数あります。「政治の世界は論理とか一般常識が通用しない世界」という前提を捨てないといけません。
選挙のときだけでなく、もっともっと政治を身近なものにしないと、公共事業だけでなく、議員の人件費が膨大な税金の無駄遣いになってしまいます。

おことわりしないといけませんが、政治的な主張する気はありません。QMSの世界から政治の世界(場合によってはメディアの世界)を見ると言葉遣いがおかしいぞ、と言いたいのです。QMSが世の中から浮いてしまってはいけないと考えています。

サービスの質  090928

  • Posted by: 田中 昇次
  • 2009年9月28日 11:25

サービスの質

先週の大型連休を利用して、京都府の日本海側、天橋立に行ってきました。身内の七回忌だったのですが、何回行ってもよいところです。京都駅から特急を利用しても2時間半ほどかかる、交通不便なところだからでしょうか、夏休みもとっくに終わっていたので大混雑はありませんでした。(夏休みには道路は渋滞し、宿泊代が高いです。)

与謝郡という地域があり、与謝蕪村や、与謝野鉄幹の父親の出身地です。周辺を含め、歴史的な建造物や言い伝えがたくさん残っています。「大江山生野(行く野)の道の遠ければ まだ文(踏み)も見ず天橋立」「由良の戸をわたる舟人舵を絶え、行方も知らぬ恋の道かな」で歌われている、大江山(酒天童子で有名)、生野鉱山、由良川などがあります。山椒大夫の物語も残っていますし、宇良(浦)神社があって「浦島太郎が乗って帰ってきたと伝えられる亀の甲羅」が保存されています。
湿度が高いため繊細な絹糸が切れにくく、丹後ちりめん(縮緬)の産地でもありますし、近代工業としては、ニューカレドニアから運搬してきた鉱石からステンレス製造に不可欠なニッケルを精製する工場があります。

ホテル/旅館に宿泊すると、サービスの質⇔利用する立場での満足ということを自然と考えるようになります。法事はある頻度で発生するのですが、毎回同じ宿泊先でなく、地元の方の意見も聞きながら都度決めています。風呂の使い勝手を除くと旅館のほうがサービスがよいように感じます。
QMSには、「顧客が口に出したり文書で示すことはないけれども、ある用途なり目的が決まるとそれに対応した要求事項がある(7.2.1項)」という考え方をしています。ホテル/旅館の場合は、ピシっとしたシーツや浴衣が用意されていること、値段にふさわしい料理が出てくることです。他にも騒音がしないとか、観光案内を適切にしてくれるとか、バスの時刻表・近所の散策ルートを教えてくれるなど、項目は無数にあるのです。ところが、7.2.1項の表現が「顧客が明示してはいないが、指定された用途または意図された用途が既知である場合、それらの用途に応じた要求事項」となっているので、それって何?と聞きたくなってしまうのです。

口語体で書いてあるのに、なぜ規格要求事項はわかりにくいのでしょう。理系人間が翻訳したせい?もちろん答えはNOです。源氏物語は口語訳にすると文章の意味はわかりやすくなりますが、平安時代の宮中の雰囲気は感じにくくなります。最近佐藤春夫訳の徒然草の口語版を読みました。大家の訳なのですが、やはり原文のほうがよいように感じました。

話がそれ、その上結論が飛躍して申し訳ないのですが、規格の文章は権威づけのためにわかりにくくしているのではないか?と勘繰ってみました。法律と似たところがあります。

理系人間  090916

  • Posted by: 田中 昇次
  • 2009年9月16日 15:54

理系人間

鳩山首相のもと民主党政権が誕生しました。理系出身の異色政治家などと、メディアは伝えていますが、政治の世界は文系の人間だけが携わるべきとも読める論調には異議があります。

理系/文系というように、人間を少ない区分(二者択一など)で分類することで楽しんでいる方がいます。一種の宗教と考えると信者数が多いかと思いますが、日本では官僚のヒエラルキーがそのようになっているため、その考え方が蔓延しているように思います。

田中が知っている限りでも、寺田寅彦・中谷宇吉郎(科学者、随筆家)、森鴎外(医者、文学者)、有馬朗人(物理学者、俳人)のように複数の分野で活躍をしている方は大勢いますから、理系/文系という二者択一的な分類に意味がないことは自明だと思います。理系の授業をたくさん受けてきた人間がそうでない人間と違う部分があるとすれば、論理(客観的な事実)を重視して、感情・感覚で判断することが若干少ないことでしょう。昔々の政治の世界では腹芸というような言葉がありましたが、それは感情を抑えたように見せながら実は丸出しにしたものだったと記憶しています。

科学博物館で研修を受けた話を以前書きましたが、3月末で退官(用語は違っているかもしれませんが)された研究者の最終講義もありました。民間企業であれば、本部長・執行役員クラスの方たちです。「科学者は人間離れした特殊な人種です。」というような自己紹介がありましたが、どうしてどうして極めて人間臭い方たちでした。ロボットが研究をしているわけではありませんし、地球外の生物が科学の分野に携わっているのでもありません。

さて、ISO(品質マネジメントシステム)は理系/文系どちらの分野でしょうか?もちろん、このような質問は無意味で、どちらの分野にも適用できるものですし、コンサルタントも理系でないといけないということは全くありません。その組織に適用される事項が(自然科学的なという意味で)技術的要素が多ければ多少違うかもしれませんが。反対も成り立ちます。田中は金融機関の9001のお手伝いをした経験があります。このときは、用語や仕組みがわからなくて、ヒアリングの途中で酸欠状態になった記憶があります。

"Quality"を"品質"と日本語訳にしたところから間違い(品質管理は製造業には関係が深いが、非製造業には当てはまらないという誤解)が始まったことと共通しているように思います。"Quality"はモノの質だけでなく、仕事の質、結果の質すべてを包含した概念です。

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