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Consultant's Eye QMS

19011規格改訂  120425

  • Posted by: 田中 昇次
  • 2012年4月25日 16:43

19011規格改訂

3月21日付けでJIS Q 19011規格が改訂されました(ISOは2011年)。規格の名称も「マネジメントシステム監査のための指針」となり、これまでの"品質及び/又は"の文字が消えました。
すべてのマネジメントシステム監査に適用できる、ということで対象が情報セキュリティや労働安全衛生、輸送安全、事業継続、記録マネジメントと急拡大しました。

指針の中身も2003年(ISOは2002年)版と比較して相当に変わりました。大きく変わったなと田中が感じたのは以下の5項目です。
① "監査の原則"が1項目増えた。
② "監査プログラム"の概念が明確になった。
③ "監査プログラム管理者"という役割が追加となった。
④ "監査プログラムに関わるリスク"の概念が導入された。
⑤ "文書レビュー"の区分が明確になった。

監査の原則: これまでは5項目でしたが、"機密保持"が追加となりました。

監査プログラム: この用語はこれまでもありましたし、プログラムを管理するという考えが示されていましたが、"監査プログラムの目的の設定"がプログラム管理のためのフローの頭に入りました。そして、④に相当する"リスクの特定及び評価"が"監査プログラムの策定"の1項目として登場しました。"監査プログラムの実施"の中では、"個々の監査の目的、適用範囲及び基準の明確化"という項目が入ることで、「監査全体」と「個々の監査」の位置付けが明確になり、規格条文が読みやすくなりました。

監査プログラム管理者: これまでも、「全般的に理解している一人または複数の個人に監査プログラムの責任を割り当てることが望ましい」との考えを示していましたが、「監査プログラムを管理する一人または複数の力量を備えた人を任命することが望ましい」となりました。
監査プログラム管理者の役割及び責任、監査プログラム管理者の力量という項目で"監査プログラム"の概念はさらに明確になってきます(が、正直な話、田中の頭の中では、まだ十分明確とはなっていません)。

"リスク": 監査プログラムに関わるリスクですが、表現を変えると「監査プログラムの目的の達成に影響を及ぼし得るリスク」で、監査側の力量不足、準備不足、コミュニケーション不足などが例として挙げられていますが、「監査活動中に機器に触れたり操作しない」「運用プロセスの不必要な混乱を避ける」という表現があるように、被監査側の業務に支障を生じるリスクもあります。蛇足ですが、リスクの定義は「目的に対する不確かさの影響」で、JIS Q 0073(リスクマネジメント-用語)の定義を採用しています。

文書レビューの区分: 監査に備えた(準備段階での)文書レビュー、監査実施中の文書レビューの表現で明確になりました。弊社のテキストではこの考え方を説明していたので、ほっとしました。

ノーベル賞の業績  120328

  • Posted by: 田中 昇次
  • 2012年3月28日 16:59

ノーベル賞の業績

昨年10月に大阪・神戸・京都に行き、自然科学(*)系の展示をしている博物館をまわりました。
大阪・神戸では子供たちを主な対象とした科学館に行きました。社会科見学か、総合学習かは不明ですが、大勢の小学生が元気に展示を見ていました。子供向けに工夫がこらされ、田中がボランティアをしている科学博物館よりいいなと感じた展示もありました。ハンズオン(手で触れたり、なんらかの操作をすることができる)タイプの展示、やさしい解説などです。

京都では島津製作所創業記念館を訪ねました。会社は田中耕一さんのノーベル賞受賞で有名になりましたが、実験装置や測定機器で学生時代からお世話になった会社です。機器の利用者としての印象は、重厚というと聞こえはよいのですがボテボテとした古臭い機器メーカーという印象でしたが、創業以来の機器開発の歴史をみると、努力・工夫の積み重ねであることがわかりました。

田中耕一さんの受賞対象となった業績については、この記念館を訪ねるまで、恥ずかしながら理解できていませんでした。今回、館内の解説ビデオを視聴して納得しました。すばらしいものです(あたりまえでしょうが)。もうひとつ納得できたことがあります。ビデオの中で田中耕一さんが語っているのですが、ノーベル賞というと、受賞者は大学か研究専門の機関に所属していて、企業人はほとんどいない。しかし、田中さんが受賞できたのは、研究分野の異なる人員が集まっている「民間企業」だからなのだ、という説明です。
同じ分野の研究者が一番乗りを目指して競い合うことも重要だが、異分野の人たちがプロジェクト的に協力して一つの製品づくりを目指すことも重要だし、有用な知見を得ることができる、という説明でした。

素粒子の分野でノーベル賞を受賞した小柴さんのときには、測定装置としての光電子増倍管を浜松フォトニクスという会社が開発してはじめて理論を実証できました。この場合、企業は縁の下の力持ちの役割を果たしたわけですが、受賞に値する偉大な研究が1企業内で完結できるのもすばらしいことだと感じました。
小柴さんが行った研究を拡張して、国を超えて(研究者の国籍、実験施設の場所・距離の二面で)実験した結果、アインシュタイン理論が誤りか?というセンセーショナルな報告が昨年なされ、最近、実験装置上の誤りがあったという別の報告(最終報告ではなく)が出ましたが、分野の異なる知恵者が協力することで期待する結果がもたらされることが多くなってきたように感じます。一方、予想外の結果を見逃さず(実験場の誤りとして放置せずに)、とてつもなくすばらしい結果をみつけるのは個人の場合が多いようにも感じます。


(*)科学という言葉は、なぜ自然科学分野のことを表すようになったのでしょう。ボランティアとして「国立科学博物館」に通っていますが、ここで扱っているのは、「動物、植物、人類、地学、理工」の5分野です。学生時代に人文科学、社会科学という言葉を習いましたが、死語になったのでしょうか。科学的と言った場合、人文科学・社会科学で扱うことがらは対象外なのでしょうか。少し調べてみようと思います。

原子炉圧力容器の温度上昇  120220

  • Posted by: 田中 昇次
  • 2012年2月20日 18:10

原子炉圧力容器の温度上昇

新年も2カ月近く経ってしまいました。昨年の東日本大地震とそれに起因する福島原子力発電所事故から1年まで、1カ月を切りました。

1年が経過しようというのに、事態は一向に改善されていません。福島第一原発の2号機で、原子炉圧力容器の底部温度が今月12日に80℃以上に上昇しました。
東京電力の説明は再臨界を示すものではない、該当する温度計が故障したのだろうということです。

圧力容器の底部には外周に沿って3ヶ所に熱電対温度計が設置されているとのことです。2ケ所は冷温停止状態を示す温度なので、1ヶ所が故障だと考える、との説明です。
再臨界の可能性を否定する根拠として、東京電力は、①格納容器内のガスサンプリング結果、キセノン135濃度は再臨界判定基準以下であること、②放射性セシウム134・137が検出限界未満であることを挙げていますので、確かに緊急を要する状況ではないかのかもしれません。

ただ、田中自身の経験から考えると、「故障しているのに温度を表示する」ことがよくわかりません。ゴムを取り扱う会社にいたので、加硫(かりゅう)という、ゴム配合物が熱(140℃~170℃)と圧力がかかった状況でどのように狙った性質を発揮するゴムに変化していくかを検討する際に、自作の熱電対を使用しました。火力発電所で監視用として使用するものは頑丈に、きっちりとできているでしょうから比較すること自体おこまがしいかもしれませんが、故障しているのに温度を示す、温度が変動しつつ上昇傾向にあることが理解できません。
今回該当する温度計を監視対象から外す処置をとったとも報道されていますが、3ヶ所のうち残った2ヶ所だけで格納容器の温度を把握することが可能なのか、容器の大きさからすると測定点不足にならないのか、ということも気になります。塩水に漬かったために温度計としての性能が劣化した、との説明もされました。性能劣化する可能性がある状態を1年近く放置してきたことを、冷温停止状態の根拠(の一つ)としてきたことが正しいのか、疑問です。
格納容器内のキセノンやセシウム濃度をモニタリングできるのですから、圧力容器の底部温度を別の方法でモニタリングすることを検討すべきではないか、と考えます。

東京電力の発表内容が、「確かに確からしい」と感じることができるよう、早くなってくれることを祈ります。

今年の反省  111226

  • Posted by: 田中 昇次
  • 2011年12月26日 18:55

今年の反省

もう今年も残すところ数日となりましたが、福島原発は依然として状況は好転の兆しを見せていません。「収束」という言葉が首相の口から発せられましたが、厳しい寒さに向かう中、多数の方々が帰宅して地震前と同じ暮らしに戻る見通しは全く立っていない状況です。何をもって収束と言うのか自体が合意されていないので、新聞の論調でも、空虚な発言と感じた人が多かったようです。広範囲の地域で節電を要請され、平凡な市民生活を営みにくい状況が続いています。

ふり返ってみると、失った信用を回復するのは容易なことではない、ということを実感した一年でした。他山の石という言葉がありますが、身近なところにも多数の石がころがっていました。東京電力、原子力保安院、政府首脳たちです。
他人のことばかりでなく、自分の言動にも気をつけたいと思います。

コンサルタント業は信用されてはじめて成り立つ職業です。私はコンサルタントです、と名乗ることに対する要求事項とか規制事項はありません。誰でも自由に名乗ることができます。
しかし、コンサルタントとして認めていただくためには、どのような準備をすればよいのか、どのような知識を身につければよいのか、どのような対話スキルを持つべきか、大部分が手探りです。仕事を下さる方(企業/組織)がどのようなニーズ・期待をもっていらっしゃるのか、何回か面談する中で感じ取るのですが、コンサルティング期間終了近くになって初めて理解できた、というお粗末な結果の時も過去にはありました。申し訳ない限りです。
今後は、顧客のニーズ・期待を可能な限り早く正しく感じ取って仕事にかかりたいと思います。

お客様が景気の動向に一喜一憂しないでよい、日本だけでなくできる限り広く世界の人たちが委縮せず、幸せを感じられよう、自分の仕事を通して貢献できればいいなあと思います。

マネジメントシステムは一組織のためのものではなく、ステークホルダーはもとより、世の中全体の役に立つものだと確信できるような仕事をしていきたいと思います。

非常事態又は特殊な状況  111221

  • Posted by: 田中 昇次
  • 2011年12月21日 16:55

非常事態又は特殊な状況

110318で書きました「地震災害に伴うJABの対応」の続編です。
JABが、12月9日付けホームページで、「認定機関、適合性評価機関及び認証された組織に影響を及ぼす非常事態又は特殊な状況の管理に関するIAF参考文書」を告知しました。

認証機関(適合性評価機関)や認証された組織を拘束するものではありませんが、基本的な考え方を示したものです。この通知は、110318で書きました「マネジメントシステムの認証を受けた組織の皆様へ」という東日本大震災の災害に伴うJABの対応に置き換わるものですが、IAF(International Accreditation Forum, Inc. 国際認定フォーラム:ISO認証制度に関する国際団体)として参考基準を定めたところに意義があります。
また、振り返ってみますと、大震災発生から4日後には「マネジメント・・・・・・組織の皆様へ」という大震災の災害に伴うJABの対応方針をいち早く発行したことはすばらしい手際であったと思います。

序文はでは次のように説明しています。
各組織は、通常の事業環境においても常にさまざまな好機会(opportunities)、試練(challenges)、リスク(risks)に直面している。しかしながら、組織の統制を超えた非常事態または特殊な状況(extraordinary events or circumstances)は発生する。
具体的に想定している状況は次のようなものです。戦争、テロ、暴動、政情不安、ストライキ、地理的・政治的緊張、パンデミック(世界的規模での感染症同時流行)、洪水、地震、悪意のあるコンピューターハッキング、犯罪、その他の天災又は人災です。
東日本大震災をきっかけとしてIAF内での議論が始まったのかは不明ですが、東日本大震災だけでなく、地理的・政治的緊張の例としては中国漁船と韓国取締船の関係があり、洪水はタイの事例でわかるように、「組織の統制を超えた非常事態/特殊な状況」は身近なものだと言えます。

この文書(IAF Informative Document for Management of Extraordinary Events or Circumstances Affecting ABs, CABs and Certified Organizations)が発行されたことで、認証された組織が実施しなければいけない事項が増えるわけではありませんが、「認証された組織に影響を及ぼす非常事態または特殊な状況」の概念は、リスク管理/事業継続の概念につながりがあり、注目に値すると思います。
・いつ平常どおりに機能できるようになるか?
・代替の製造及び/または流通サイトを必要とするか?
・災害復旧計画、緊急時対応計画をもっていた場合、その計画通り実施できたか、有効であったか?
・マネジメントシステムの運用はどの程度影響を受けたか? 等々
の観点で、適合性評価機関(認証機関)は認証した組織を評価し審査日程に反映すべきだ、としています。

実際に大きな災害、特殊な状況にさらされた時にどこまで実行可能かは不明ですが、同じ観点でマネジメントシステムを自己評価することは意義があると考えます。

蛇足ですが、原文の発行日は11月8日で、適用(発効)日は2012年11月8日となっています。

西堀栄三郎  111207

  • Posted by: 田中 昇次
  • 2011年12月 7日 15:46

西堀栄三郎

西堀栄三郎さん(1903年-1990年)は多方面で活動した人です。戦後(1945年8月15日以降)の品質管理技術を牽引し、第一次南極観測(1957-58年、京都大学教授時代)に当たって越冬隊の隊長を務めたり、日本の原子力平和利用についての道筋を作り上げた人でもあるのです。
何か日本の産業界・技術開発で新しいことを始めようとした時に登場した人と言えるでしょう。「新しい、未踏の世界は西堀にやらせれば間違いない」と周囲の人が考え、担ぎ出したからです。

今、西堀さんが存命であったら、福島の原発事故に対してどのような見解を述べるだろうか、どのように政府・東電を叱り飛ばすだろうかと、興味があります。
「南極越冬記」「西堀流新製品開発」「品質管理心得帳」などの著作がありますが、中には、「石橋を叩けば渡れない」「五分の虫にも一寸の魂」などユニークな題名の本も書いています。そういう著作の中で、「準備とか計画というものは、思いもよっている(想定内の)ものしかできない。思いもよらないことはわからない(想定外という範疇から抜け出せない。気づかなかったことが残っている筈である)のに、準備や計画が完全無欠であるように思ってしまうことが怖い。」「思いもよらないことが必ず起きるぞ、準備というものは必ず不完全なものなのだ、と考えることが重要だ。」と述べています。

最近の言葉で言うと「リスク管理」ということになるのでしょうが、思いもよらないことが起きた時に、あわてふためかず、「おお発生したか」くらいの沈着冷静さが必要だとも書いています。西堀さんが存命であったら、だれもがまず西堀さんに「先生どうしたらよいでしょう?」と指南を求めたのではないかと想像します。

原子力船開発事業団の理事だった時に、原子力船の安全性を説く中で「原子力の平和利用を恐ろしいものだ、危険なものだと思っている人は、文明から置き去りにされた原子アレルギー患者で、時代遅れもはなはだしい」と発言したと伝えられ記録されています。この発言は、いい加減な管理をしても原子力が安全だと言っているのではありません。しかるべき管理をすることで十分にエネルギーとして安全に有効活用が可能だと言っているのです。おそらく、西堀さんがそう言うなら安心してよいだろう、と判断した人が多かったのだと思います。それほど、西堀さんの発言には重みがあり、信用されたのです。

今回の事故発生当初だけでなく、9か月が過ぎようとする現在でも、政府、東電、関係科学者の発言をそのまま信用している人がどれだけいるでしょうか?テレビの報道はどこまで真実・真意を伝えているのか不明ですし、新聞などを読んでも、だれの発言を信用すればよいのかわからないので、自分の家族は自分で守る放射線量についても自分で測定する、という記事であふれています。

西堀さんの経歴を少し追加しますと、学生時代には探検部に籍をおき、「雪よ岩よ我らが宿り」の雪山賛歌を作詞しました。京都大学理学部助教授から東芝に移り、真空管の研究者として活躍しました。1980年のチョモランマ登山隊では総隊長を務めました。77歳にしてです。

ガリレオ・ガリレイ  111124

  • Posted by: 田中 昇次
  • 2011年11月24日 18:33

ガリレオ・ガリレイ

ガリレオ・ガリレイは1609年に自作の望遠鏡で天体を観察しました。望遠鏡の発明者は1608年、同じイタリア人のリッペルスハイとされていますが、そのこと以外の情報がありません。ガリレオは、望遠鏡を夜間、空に向けた最初の人です。当時の倍率は20倍くらいだったようですが、夜空は現在とは比べ物ならないほど明るかったと思われます。それまで見えていなかった宇宙が見えることで人類の知識が急速に拡大し、星の運行状況の観測結果から、地球が宇宙の中心ではなく、片隅であることがわかったのです。ただ、現在では当たり前のそのことが、宗教上の原理・摂理と相容れない部分があって、1616年の宗教裁判にもつながっていきます。

「天文対話」の中で地動説理論を発表し、1616年と1633年の二度も宗教裁判にかけられてしまいました。1642年にガリレオが亡くなってから約350年経って、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、宗教裁判の誤りを正式に認めました。地動説は、アイザック・ニュートンの登場で迫害されなくなったのですが、ガリレオの名誉回復までには多大な年月がかかりました。

1年ほど前に書きましたが、渋川春海(安井算哲)という江戸時代の人(1639-1715)も正しい暦を作成するために、天体観測を根気よく続けました。最終的には、緯度経度の違う中国の暦に頼ることなく、日本独自の暦が完成しました。

事実に基づく意思決定、という概念が品質マネジメントシステム規格の基本(8原則)の一つにあります。突き詰めていくと、不確かさという壁にぶつかるのですが、日常的なできごとは事実に基づいて行動を決定することで十分に暮らすことができます。

日常的なできごとと、不確かさの関係が現実のものとなった最近の例として、放射線量の測定があります。今朝のNHKのアサイチという番組で、放射線量の測定値が「ゼロ」と「ND(検出限界以下)」の違いを問題として、番組側が謝罪していました。番組を見ているおおぜいの方達が、測定値の大小/ゼロなのかそうでないのか、についてピリピリしている様子がうかがわれました。言葉や概念を正しく理解することは重要で、ある意味でピリピリするのはよいことだと田中は思います。

列車事故再発防止  111107

  • Posted by: 田中 昇次
  • 2011年11月 7日 19:14

列車事故再発防止

中国の高速鉄道で追突事故が起きた件に関する続報が、まばらですが報じられています。高速鉄道網の拡張を急ぐあまり、安全面での検討がおざなりになっていたのではないか、という海外諸国の懸念に対して、当初は無視するイメージでしたが、様子が変わってきたように感じます。中国の政治も物事の進め方も外部からは理解できない部分があるので、メディアが報道することをそのまま信じてよいか不明ですが、是正処置/再発防止の観点から考えると、「様子が変わってきた」ことは良い方向だと思います。

是正処置/再発防止を行うには原因を突き止める必要があるのですが、原因を突き止めることが結構むずかしいのです。落雷のため停止していた列車の後続列車が高速で追突したことは事実だと思いますが、事故原因を「落雷」としてしまうと、是正処置は「落雷を高速鉄道網周辺では発生させない」こととなります。なぜならば、「是正処置=不適合の原因や望ましくない状況の原因を除去すること」だからです。
自然現象である落雷を発生させない技術はないでしょうから、是正処置がとれません。

追突事故の原因は、「落雷があっても故障しない列車運行システムがなかったこと」と考える必要があります。日本の新幹線がどのような要因を検討してできあがったかわかりませんが、あれだけの過密ダイヤでも、大雨、雷雨、強風、大雪にも耐えるシステムであることは実績が示しています。ただし、在来線と呼ばれる路線では、強風、大雪による事故が、田中の記憶にある中で起こっています。余部鉄橋の事故や羽越本線での事故です。
余部鉄橋の場合、乗客には死者は出ず、車掌と鉄橋下の工場従業員が死亡しました。まず、風速による運行制限の強化とを行った結果、荒天時の運行休止が大幅に増加して、定時運行と安全確保の板挟みの状況が続きました。是正処置としては、完璧なものでなく、別の不具合を発生させたのです。橋梁そのものを強風に対して強固なものにかけ直すことで、てほぼ完ぺきなものとなったのですが、二つの教訓があるように思います。
① 複数の処置をすることが心理的な安心感を高めるだけでなく、処置の実効性を高める。
② 医療においては副作用という現象があるが、是正処置にも似たようなことが起こり得る  ことです。

② に関連してですが、8.3項で、田中はこういう説明をしています。
『「不適合製品に修正を施した場合には、要求事項への適合を実証するための再検証を行う」とあります。製品の特性は複数あって、その中のどれか1項目が不適合でも製品としては不適合になり、不適合製品の処理として手直しをする場合がありますが、それは不適合となった特性に対して行います。この作業は「修正」です。修正後に再検証して「適合」になれば手直しができたことになりますが、別の特性が新たに不適合となっていないか、再検証は全ての特性に対して行ってください。』

「要求事項への適合を実証する」という文章の「要求事項」は、日本語で読むと「不適合となった特性」と読み過ごす恐れがあるのですが、英文では、" to demonstrate conformity to the requirements "と複数形になっています。

中国での列車事故  110803

  • Posted by: 田中 昇次
  • 2011年8月 3日 18:57

中国での列車事故

中国の高速鉄道で追突事故が起きました。落雷のため停止していた列車の後続列車が高速で追突した、とされています。中国は新幹線の車体技術を日本・ドイツ・フランスから学んで、自主技術で開発し特許取得を目指していたり、それを含む技術を海外に売り込んでいるさなかでした。
この事故で明らかになったことの一つは、高速走行可能な車体を開発製造する技術と、全車両を安全に運行させるシステムの開発という、両者が完全でないと高速鉄道事故が起きる可能性があることです。

田中が気になったのは、日本ではこのような事故は絶対起きない、という短絡化した意見です。たしかに、日本の新幹線は過密ダイヤの中でも運行面での死亡事故を起こしたことがないという立派な実績がありますが、もう少し他国の事例から学ぶ姿勢が必要だと思います。絶対的な安全神話をベースにした原子力発電ですら事故が起きたわけですから、もっと謙虚に、修正・予防処置をとるべきでしょう。

中国の事故について、現在メディアが伝えているのは、高速鉄道網の拡張を急ぐあまり、安全面での検討がおざなりになっていたのではないか、ということです。日本でも、原子力発電所の建設を急ぎ過ぎた可能性の検証が必要だと感じました。兵器としての利用以外、日本はいろいろやってきたのですが、原子力船「むつ」の故障⇒廃船以外にも、JCOにおける裏マニュアルによる臨界事故、冷却用ナトリウムの漏れなど、周辺の技術開発において狙い通りにならなかった事例は多数あります。なぜ安全神話を信じてきたのか、信じるしかないと思い込まされてきたのか、反省点は沢山あります。気づいてみたら50基を超す原子力発電所ができてしまったのですが、論旨としては、二酸化炭素を排出しない発電方式であることと、発電コストが他の方式と比較して安価であり電気料金を抑制できるということでした。
しかし、発電にかかわる、安全という品質面での検討が不十分だったことは今回の事故ではっきりしました。コストについても、付随するコストを無視していたと指摘されています。良い、正しい、間違いないという論拠が根底から覆される状況になったわけですから、もう一度冷静に多面的な検討をすべきでしょう。福島の事故発生は東京電力、事故後の対応については政府に責任があると考えていますが、放射性物質を撒き散らし、地球全体での濃度を増大させてしまった(いろいろな国々の人たちに、将来を含めて迷惑をかけた)ことに対する責任は政府だとか一民間企業というものを越えて、日本国民全体に責任があると考えます。空気中を伝って、海流に乗って放射性物質は長い半減期の数十倍の期間影響し続けるのです。安心して食べられるものが、そのうちなくなってしまうかも知れないのです。

中国での列車事故に話を戻すと、真の事故原因を究明してほしいです。国の体質からすると、関係者の首きりという形で収束してしまう恐れもあります。原因を個人のせいにすると、決してシステムは良くならないと考えるのがマネジメントシステムの考え方です。ひょっとすると、システムという概念を組織内に取り込むところから始める必要があるのかもしれません。

余談ですが、7月度の電力使用量、田中の家は昨年対比18%減でした。

国際化学年  110716

  • Posted by: 田中 昇次
  • 2011年7月16日 18:39

国際化学年

今年はキュリー夫人がノーベル化学賞を受賞して100年に当たることから「国際化学年」とされています。田中は化学を専攻しました。田中が化学を専門にしようと考えたのは、化学のもたらす成果がすばらしいものだと感じ、自分も化学を通して社会に貢献したいと考えたからです。その頃は、同じ気持ちの人が多く、競争は結構厳しいものがありました。高校時代の先生の影響もありました。50年以上前の話です。
ところが、イタイイタイ病(カドミウムが原因物質、1910年代から発生していて、1955年に富山県の医師が命名)や水俣病(メチル水銀が原因物質、1956年に発生が確認され原因物質特定は1968年)、四日市ぜんそく(亜硫酸ガスが原因物質、1960年代のコンビナート建設頃から発生)のような、工場・鉱山から排出される化学物質による公害問題が顕在化するようになって、化学を志す人が急速に減少した時期が長くあります。

化学物質そのものが意思をもって悪さをしているのではなく、化学工場における副産物の処理を人が適切に行わず、無害な物質にまで処理しなかった場合に公害は起きるのです。処理する必要性を判断する人、/処理するための施設設備というインフラストラクチャーの問題と考えることができます。

その意味で、9001規格(品質マネジメントシステム)には不備があります。1.1項(適用範囲一般)の注記1に「製品」という用語を次のように限定して用いる、としているのです。
a)顧客向けに意図された製品、又は顧客に要求された製品
b)製品実現プロセスの結果として生じる、意図したアウトプットすべて

水俣では、アセトアルデヒドという、化学工業にとって有用な化学物質を合成するための原料として役立つ物質の生産に、触媒として使用した硫酸水銀が、製造工程内でメチル水銀に変換されており、これをほぼ未処理のまま廃棄していた、というところから悲劇が始まっていたのです。メチル水銀は上記の概念で考えると、a)には相当しませんし、意図したアウトプットではないのでb)にも相当しません。9001のシステムとして管理対象にならないのです。
もちろん、a)にもb)にも該当しなくても管理対象とすべきなのですが、規格の上からもおろそかになっています。今回の原発災害も同じような根っこを持っている気がします。

話がそれてしまいましたが、化学は人類の役に立つものを生み出してきたのですが、同時に人々を不幸にする副産物を生みだしてきました。こういう状況を経験する中で、環境についてのマネジメントの重要性を認識し、(強引なストーリーですが)品質だけでなく環境を重視した統合マネジメントの方向を目指すようになったと考えられます。

国際化学年をきっかけに、化学産業だけでなく、全ての産業が品質+環境+αのマネジメントを推進するようになることを期待しています。

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