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福島原発事故を考える(4)  110613

  • Posted by: 田中 昇次
  • 2011年6月13日 18:18

福島原発事故を考える(4)  貞観津波

設計・開発のレビュー(110425)の続きです。
田中が知ったのは3月下旬の新聞記事ですが、869年(平安時代)に貞観(じょうがん)津波という非常に規模の大きい津波が起きました。その津波の痕跡を調査した研究者が「東北地方を大津波が襲う危険性を指摘していた」という内容です。福島第一原子力発電所をめぐって、2009年の審議会で危険性を主張したのですが、東京電力側は、「十分な情報と言えない」として、地震想定の引き上げに難色を示したそうです。

危険性を指摘したのは独立行政法人産業技術総合研究所活断層・地震研究センターの岡村行信センター長とあったので、文献を調べてみました。
「地質ニュース」という研究誌の624号(2006年8月号)、36-41頁に、「仙台平野の堆積物に記録された歴史時代の巨大津波―1611年慶長津波と869年貞観津波の浸水域―」という研究報告が載っています。報告者は、7名で、その一人が岡村行信氏です。この調査は、文部科学省所管の「宮城県沖地震重点調査観測」として行われたものです。
調査域は、仙台市、名取市、岩沼市、亘理町、山元町で、堤間湿地・浜堤列と呼ばれる場所をボーリング調査と空中写真判読で特定することによって、過去の海岸線(津波がどこまで遡上したか)を推定することができるとしています。

一例として地層の断面写真が載っていますが、泥炭層の上に津波堆積物(砂)の層が22mmほどあり、その上に915年に爆発した十和田火山灰の層があります。詳細な引用は省略しますが、869年の貞観津波によるものと考えて矛盾がないとのことです。
「山元町と亘理町の調査測線沿いで、現在の海岸線からそれぞれ3km、4km内陸まで追うことができた。」「従って、貞観津波は山元町・亘理町において、少なくとも2-3kmの遡上距離を持っていた。」「名取市、岩沼市、仙台市における調査測線では、当時の海岸線の位置を推定することができなかったが、現在の海岸線より4km内陸まで津波堆積物を追うことができた。」と結論づけています。

江戸時代に三陸海岸を襲った中で最大規模のものが慶長十六年(1611年)の慶長津波です。
山元町、亘理町では、十和田火山灰より地表に近いところに津波堆積物と考えられる砂層が検出され、歴史記録から判断すると、この砂層は1611年の慶長津波によるものと推定されています。この砂層は、現在の海岸線から500m程度内陸部に分布しているので、昭和三陸津波(1933年)や、宮城県沖地震(1978年)より大きな浸水域を持っていたと考えられる。」「土地改良の影響で、最近数百年間の地層は欠損していることが多く、津波堆積物をみつけることはできなかった。」と説明しています。

「従来の予測以上の津波」という表現を110316でしましたが、この表現が必ずしも適切ではなかったのです。
「地質ニュース」における調査結果を考慮すると、田中が考える適切な表現は、「一部の研究者からは指摘されていたが、諸般の事情から想定の引き上げをしなかった大規模な津波」となります。

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