- 2011年5月30日 17:33
伊香保で感じたこと 三つ子の魂
高校を卒業してからちょうど50年ということで、同期会を伊香保温泉一泊旅行で行いました。卒業時は350名(7クラス・共学)でしたが、亡くなった仲間、消息が不明な仲間もあり、現在300名を欠ける状況下、19名の参加がありました。多いとは言えない参加者数ですが、引率?する側にとってはちょうどよい人数でした。2日目の行動がゴルフ派と散策派に分かれるため、6台の車に分乗となりました。1日目はずっと雨でしたが、2日目は晴れて絶好の日和となりました。
幹事会などで年数回会っている者もいますが、卒業後初めてというメンバーも4人いました。お互いシワがあったり全体に年老いた感じはあっても、50年ぶりの再会で話をしているうちに高校時代の共通の話題になれば、若返った気分になれるものです。
三つ子の魂百まで、という言葉がありますが、今回の同期会でその意味を再確認しました。もともと初めて出会ったのが15歳のときですから、3歳児から12年経っていたわけです。3歳⇒100歳の間性格は変わらないと言っているのですから、数学の法則?を適用すれば15歳⇒68歳のあいだ性格が変わらないのは自明のことです。しかし、改めてそのことを実感すると、ことわざってすごいなあ、昔の人の観察力・洞察力はたいしたもんだなあ、という感動に変わるのです。
現在は知りませんが、当時高校一年生というのはまだ子どもで、卒業時にやっと大人の意識を持つことができた程度です。社会の荒波だとか、大人の言動における汚さを新聞・ラジオなどで(まだテレビが全家庭に行き渡ったと言えない時代です)見聞きはしていても、実態までは理解しませんし、自分では大人のつもりでも周囲からは「大きな子ども」としか扱ってもらえない年代でした。
そのような時期に各人の特徴やクセを確認しあって仲間として暮らしたわけで、その時の印象がそのまま再現されれば、なつかしさもひとしおですし、もう少しなんとかならないのか(よい方向に変われなかったか)よと、自分のことを棚に上げてひそかに舌打ちをするのです。これは、むこうも同じ気持ちでしょう、お互い様なのです。
具体的にどういう場面で、どのような「三つ子の魂」だったのかを書いても詮無いことなので、これで終わりです。せめて、老害と言われないように、心して生きていこうと思いました。
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