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Consultant's Eye

道路交通安全マネジメントシステムによって重大事故を未然に防ぐ

  • Posted by: 岩田美知行
  • 2012年8月21日 18:20
  • 一般 | 経営

 関越道での観光バス壁面衝突により7名の方々がお亡くなりになったことは大変痛ましい事故であった。この事故に限らずその後も重大死傷事故が幾つも発生している。
世界的にも死亡事故では、交通事故がトップを占めており交通事故の撲滅は喫緊の課題となっている。
 このような状況を打開し、死亡事故を削減していくための仕組みとしてISOでは「道路交通安全マネジメントシステムISO 39001」を制定し、マネジメントシステムを整備運用していくことによって、事故を低減していくことを目指している。
ISO 39001マネジメントシステムはISO9001等のマネジメントシステム規格と同じく、認証規格として発行される予定であり、第三者認証を受ける事によって構築されたシステムの認証、運用状況の審査がなされ、継続的改善によって事故を防止あるいは低減して行くことが期待されている。
 本規格の適用範囲は広く、運輸業に限らず、一般の事業者でも一定の車両を保有、運行している組織に適用可能な仕組みとなっている。一度、重大事故を起こしてしまうと、単に賠償問題では済まず、被害者との交渉による労力、社会的信用失墜、財務負担等により組織基盤の毀損に結び付く可能性が大であり、そのような事態を少しでも低減するにあたって、ISO 39001の施行は大きく期待できるものである。
 近年では、品質マネジメントシステム規格の発行から環境や情報、労働安全等様々な分野についてISO規格が発行されており、何処の組織も食傷気味と云えなくはないが、組織の存亡を左右しかねない、リスクをどのようにコントロールすべきかを総合的に整備・運用するにはISOマネジメントシステムはベストのシステムであると確信している。
 事業上、物流や営業等で頻繁に車を使用する事業者の方々にとっては、一度は検討しても損はない規格であろう。

リスクコントロール

  • Posted by: 岩田美知行
  • 2012年1月 6日 17:40
  • 一般 | 経営

今やリスクコントロール手法が様々の業界で導入されている。
例えば、金融業界における金融庁が金融機関を検査する際の基準である「金融検査マニュアル」の統合的リスク管理態勢や、上場会社に求められる内部統制制度の整備・運用の要求等はリスク管理の代表的なものである。
また、世界に目を向けると「ISO31000:リスクマネジメントシステム構築のための指針」が、リスク管理を行う組織のためのガイドラインとして使用されることを意図し発行されている。これらは、何れも個々の課題に対してリスク管理をどのように行うかというものではなく、あくまでも総合的にリスクを認識し、管理していこうとするものである。
しかし筆者が思うに、ISOマネジメントシステムのアドバイザーとして数十年に亘る経験からは、マネジメントシステムでは補いきれないリスクがあると認識せざるを得ない。
今回のオリンパスの損失隠しの偽装取引や、ギリシャ、イタリア等欧州の幾つかの国における返済可能限度を超える国債を発行し続けた結果デフォルトの危機に直面する等は、残念ながらリスクマネジメントシステムをいくら整備したとしても、リスク回避できるものとはならないであろう。最高経営責任者が責任をとらず放漫経営を続ける、あるいはある意図をもって不正行為を行う場合には、マネジメントシステムでは防ぎきれないものと思われる。それが証拠に、オリンパスは事件が表面化すると同時に株価がピーク時比85%近くも急落し、イタリア、ギリシャでは国債の表面金利が7%を超える事態に追い込まれた。
要は、リスク管理システムで救えるのは、日常的あるいは蓋然的に想定できるリスクに対してであり、まさに想定外のリスクについては防御出来るようになっていない。
組織の根幹を構成する人の「業」から引き起こされるリスク部分は、「倫理とか」、「組織文化とか」、「組織は何のためにあるのか」といったような高次元な問題であり、主義や主張に係らず普遍的なものであるのではないかと思われる。
幸いにしてというか不幸にしてというか、日本は巨額な国債発行残と、国家収入に占める税収割合が50%近いレベルを近年推移してきており、これらの解決を先送り出来ない状況に追い込まれている。このことは誰しもが理解していることながら税制改革や、社会保障改革といった個別具体的の対策になるとずっと先送りしてきた。
明らかに、極めて巨大なリスクが眼前に迫っているのに、それを政治家も国民もみないようにしてきた。これはら、リスク管理といった手法の問題ではなく、まさに人としての「倫理」とか、国としての「文化」の問題であろう。
ギリシャやイタリアのように追い込まれる前に、これからの若い人たちが希望を持って生きていけるようになるためにも、巨大なリスクを自ら解消していくことが直ぐにも求められるのであろう。昨年末のEUの混乱をみた今こそ改革のチャンスであり、政治家には不退転の志をもって改革を成し遂げて欲しいものである。
新年にあたっての所感でした。

環境技術百家争鳴 2011.5.20

  • Posted by: 岩田美知行
  • 2011年5月20日 11:10
  • 環境 | 経営

東関東大地震を発端として福島原子力発電の停止、その後の浜岡原子力発電の予防的停止に発展することによって、関東のみならず中部地域まで電力不足が叫ばれる中、様々な電力に関係する技術が注目されている。
国内では環境に優れたエネルギー技術が生まれてきていたが、原子力発電のように一基で大量の電力を生み出せないため活用が限られていた。
高性能な太陽光発電、太陽熱発電、電気を貯めて必要な時間帯に使用できる高性能蓄電池、小型風力発電、洋上風力発電、小型水力発電、地熱発電等様々な自然エネルギー発電が花開こうとしている。
震災前までの電力供給体制は大規模発電によって電力をくまなく、必要な時に必要な分だけ水道のように使用できるという点からは優れたシステムであり電力安定が求められることから、自然エネルギーによる発電は積極的には普及しなかった。
原子力発電所が少なくとも一か所は使用できなくなったことにより、電力不足が生まれた現在の環境は、天が与えてくれた千載一遇のチャンスであろう。
これらの各種エネルギーを大規模に採用するには、発電と送電の分離や、安定した電力供給といった点での技術革新が必要となることは事実であるが、ここ一二年の復興の時機を逃したら、次のチャンスはまた一世紀以上待たなければならなくなってくる。
一時的な電力不足を補うためには火力発電に頼らざる得ないものの、CO2の排出はむしろ増え続けるので何時までも緊急避難的に使用することは地球環境の保全の点からも許されるものではない。長期間にわたって化石燃料による発電が続けば、国際的にも今回の汚染水の海水放出に伴う非難と同種の非難を受けることになりかねないであろう。
政治家が、この国難にあって新たな技術を花開かせるために英断をもって方針を決めることを願うのみである。

リーダーシップと行動 2011.4.1

  • Posted by: 岩田美知行
  • 2011年4月 1日 11:41
  • 一般

 日本にとって、未曾有ともいえる震災の影響を受けて、福島の原子力発電所が危機を醸し出している。

 温暖化対策が叫ばれる中、エネルギーの切り札として世界的にも原子力発電が見直され、世界各地で原子力発電所の建設が進もうとしている矢先の事故である。
 3月11日に地震及びその後の津波により、原子炉の緊急停止はできたものの、冷却系統が破断し、冷却が進まない中で、建屋の爆発、放射線の空気中への放出、海水への混入という事態になっている。

 政府や、自衛隊、東京電力などの組織を上げての対応を行っていることは報道機関の発表でも理解できるものの、その発表内容は何とも頼りない感じを受ける。

 事故以来、保管プールの冷却が出来なくなったため、緊急対応として、消防車や、コンクリート圧送車によってプールの数倍に及ぶ海水を放水している以上、これらが燃料棒から発する熱で全て蒸発することはありえず、建屋内、あるいは周辺施設に滞水することは自明であったが、現状は溜まる汚染水の処理のために作業が困難な状況となっている。しかしこれらは当然予測出来たことであり、事前に滞留水の処置をどのように進めるかも、同時並行的に対策が行われなければならないものであった。
 また、放射線の高い中を、人々の賢明な作業により外部電源の復旧により電気がコントロールセンターに供給されるようになったが、モータが海水を浴びて、交換しなければならない事態が判明し、予備のモータを他の原子力発電所から取り寄せるといった事態が発表されている。あれだけ大きな設備が津波によって失われた状況からみれば、各種の電子機器も津波の影響を受けており、交換しなければならないはずであり、他の原子力発電所において修理・あるいは点検用の機器が備わっていれば、総力を挙げて通電作業と並行して機器の集約を進めておくことが求められたはずである。
 まさに、今回の事態は、チェルノブイリ、スリーマイル事故に匹敵する3大原子力事故であり、これらの事態の深刻な状況下にあって、誰がこの危機を収束させるリーダーなのかが外部からみて見えてこない。
 東京電力という一民間企業の社長ではないはずである。
 しかし、その顔は事故が発生してから20日が過ぎようとしているなかでも、まだはっきりと見えないのは私一人であろうか。
 きしくも、今朝の日本経済新聞社の朝刊でジョージ・W・ブッシュ米国前大統領の"私の履歴書"が始まり、丁度10年前の2001年9月1日に9.11事件が起こり、その中で、
"指導者たるもの、どのような危機に際しても泰然自若とすべし"との意識のもとに、行動を危機に対処したとのくだりがあった。
 今の、日本において求められているものの一端を垣間見た感じがした。

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